山もと

焼津港

水揚げ金額全国第一位!日本を代表する漁港

全国随一の水揚高を誇る焼津漁港は、静岡県の中心にあります。関東と関西を結ぶ東海道のほぼ中央という交通アクセスにおいて好条件な漁港で、国際総合水産都市づくりを目指す焼津市の中核として役割を果 たしています。

上記の補足ではありますが、2016年度の水揚げ金額は全国の主要港で第一位です。
また、水揚げ数量も全国第2位という輝かしい特色が焼津漁港にはあります。
(焼津市統計より)

焼津漁港には「焼津地区」と「小川地区」があり、「焼津地区」は江戸時代よりカツオ漁が盛んで、現在はかつお・まぐろを主とする遠洋漁業の基地となっています。「小川地区」は、さば・いわし・あじなどの多獲性魚を漁獲する漁業の拠点となっております。

焼津漁港の歴史

全国随一になるまでのあゆみ

なぜ焼津漁港が全国区であり、マグロが盛んであるのか皆さんはご存知でしょうか。
実は現在の漁港となったのは2001年からなんです。意外と知らない方が多いと思います。さらに、今では焼津のまぐろは有名ですが、昔(江戸時代から、明治に入るまで)はカツオだけが主に活躍していたのです。少々極端な話をしてしまいましたが、順を追って紐解いていきます。

1.江戸から明治にかけての変化

焼津港は江戸時代より続く漁港で現在に至るまでカツオを中心として栄えてきた漁港です。
正直まだ、この頃はまぐろ漁について重要視されておりません。まぐろ漁が盛んになったのは明治時代以降からであります。明治時代には帆 船化が進むにつれて、遠方まで漁に行けるようになりました。まぐろ漁が行われるようになったのはカツオが取れない時期に、代わりに漁をするようになったことがきっかけです。漁法としては「延縄式」で行われ、現代でいう伝統的な漁法というのが「延縄式」です。

2.船の大型化・冷凍技術の向上で大きく成長

上記のように、まぐろ漁が徐々に増えてきましたが、急激な成長で全国区の漁港になったわけではありません。さらに時代が進み、大正時代に入り大きな変化が生まれます。
船の大型化と動力化が進み水揚げ量が倍以上に膨れ上がっていきます。
大正ではおよそ2万トンのまぐろの水揚げ量が、昭和には6万トンにまで増加しました。水揚げ量が増えていき、まぐろの輸出が増え、海外から缶詰等の加工品の需要が増えました。
そして、船の大型化や冷凍・冷蔵技術も進化し、まぐろ漁船はさらに遠方まで漁へ出ることが可能となります。冷凍技術の進化によりその範囲は南洋海域まで伸びていきました。ようやく現在の漁業に近づいてきています。

3.歴史上最大の山場を越える

第二次世界大戦が始まり、漁業が一気に衰退します。主な理由としては、アメリカの政策により、遠洋漁業が禁止されたことが挙げられます。一時的に遠方の漁業ができなくなりました。その後1950年頃より禁漁が解かれはじめ、遠洋漁業が再開されました。元々缶詰め工場や加工所で栄えていた焼津は地域性も後押しとなり、1956年に水揚げ高日本一となりました。さらに、1960年に国内で重要な漁港(特定第三種漁港)に指定されたため、実力だけでなく国からも認められ、全国有数の港に成長を遂げました。
そして、船の大型化や冷凍・冷蔵技術も進化し、まぐろ漁船はさらに遠方まで漁へ出ることが可能となります。冷凍技術の進化によりその範囲は南洋海域まで伸びていきました。ようやく現在の漁業に近づいてきています。

4.新時代の幕が開く

それから時代が流れて、2001年に長い歴史を経て旧焼津港は幕を閉じます。広域漁港・新焼津港として生まれ変わりました。最新の水揚げ設備及び、衛生設備が整った市場、氷点下65度の超低温冷凍倉庫などを完備し、日本でトップクラスの漁港として生まれ変わりました。

4.新時代の幕が開く

・昭和初期に国から補助
焼津漁港の整備は、1939年(昭和14年)に国の施策として着手されて以来、国庫補助事業による整備が継続されてきました。途中、太平洋戦争によりこの計画は中断されましたが、1951年(昭和26年)に漁港指定を受けてからは、1次漁港整備長期計画から 第5次漁港整備長期計画へと工事が進められ、内港整備から外港整備に着手しました。

・船の進化に合わせて整備
1977年(昭和52年)度を初年度とする第6次漁港整備長期計画からは、荷捌きの合理化、船の大型化などに対応するため、焼津地区は外港の完成を目指し、小川地区も狭隘な旧港から外港への転換を進め、その後、1982年(昭和57年)度からの第7次漁港整備長期計画に移行し整備が行われました。

・新外港へ向けて
1988年(昭和63年)度から始まった第8次漁港整備長期計画では、狭隘となった焼津地区内港の荷捌き機能を移設し、遠洋漁業、流通・加工拠点としての充実を図るため新外港(新港)の整備を進めました。

・旧焼津漁港から現在の焼津漁港へ
1994年(平成6年)度を初年度とする第9次漁港整備長期計画では、総合水産都市「焼津」の核となる都市型漁港と流通 加工の拠点の形成を目標に、焼津・小川地区を一体化させるための埋め立て造成が進められてきました。計画期間が終了した2001年(平成13年)度までに、新屋・城之腰地先の埋立てが完了し、新市場の整備とともに新外港への機能移転が徐々に進んでいます。